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「民主国家」 2006年12月05日更新

今その改定(改善?)を巡って国会で論議されている教育基本法は昭和22年に制定されたものであるが、その前文にこのような記述がある。「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない」。

つまり、日本国の目的は民主的で文化的な国家を建設することであり、それをもって世界の平和と人類の福祉に貢献する事だとし、この実現は教育の力にまつべきものであると明記されている。国家の理想とするものは設定したが、その実現のためには教育というまことに長い時間を必要とすることに即座に取り組まなければならないという切迫感を感じさせる優れた文章であると思う。これになぜ愛国心なる言葉を盛り込まなければならないのか理解に苦しむが、今回は国内ではなく国外に目を向けたい。

アメリカがイラクのフセイン大統領を政権の座から引きずり降ろし、民主的な国家を建設しようとしていることはご存知のとおりであるが、これは大小の差はあるにしても戦後日本の状況とよく似ている。だとすれば60年近く前に作られた日本の教育基本法は絶好のサンプルとなるのではなかろうか。明らかに今のアメリカはことを急ぎすぎている。民主主義を定着させるには教育という長い時間をかけたプロセスが必要と教育基本法は言っているではないか。ここにこそ力を注ぐべきなのである。

そのためには、やはりアメリカは早期にイラクからの撤退を行い、イラク人による自治を推進し、教育制度の整備を急がせることが大切であろう。武力や金で民主主義が手に入ると思ったらとんでもない間違いである。こうしたやりかたは反発を招くのみであり、結果的に反米主義を蔓延させる元になろう。そもそもアメリカのイラク侵攻自体が間違っていたと思うが、イラクの現状を見るにつけ、アメリカはメンツに拘ることなくイラクからは撤退し、イラクの将来をイラク人の手に委ねるのが最善の選択であると信じる。これにより或いはイラクが内戦状態となるかもしれないが、それがイラク人による選択であればそれもいたし方なかろう。その渦の中に米軍が巻き込まれる危険だけはさけられる。そして教育制度の整備のために手を貸すという平和的手段をもってイラクの民主化に尽力するのが最も相応しいやり方ではないか。

(一本杉)


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