石油業法の歴史と、業法がもたらした業界体質の是正 2001年06月21日更新
石油業法が1962年の施行から40年の歴史を閉じる。わが国の経済官僚は1930年代から全ての産業を国家の方針に沿って統制する政策を採用した。これには欧州特にロシアに於ける社会主義経済の進出、米国のニューディール政策、わが国の軍事体制強化などが背景にあった。1931年の重要産業統制法に基づいた最初の包括的事業法として、1934年に旧石油業法が制定された。
商工省が当初構想した「石油産業国家管理案」は、国が原油生産、精製、輸送、販売について独占し、その権利を半官半民の国策会社に与えるというものだった。だが、当時は製品の約6割を外資が供給しており、国際生産の相当部分を海軍が自主生産し、陸軍もまた自己の燃料政策があるという状況で、商工省の石油国家管理案は採用されなかった。代わりに成立した石油業法は産油、精製、販売、輸入の許認可権と6ヵ月の備蓄義務を定めた。具体的には50社以上もあった中小精製業者の8社への統合と販売統制だった。
戦後1960年代に貿易自由化が日程に上ると、通産省は外資が圧倒的な勢力を占める石油産業の急速な自由化に危惧を抱いた。戦前と同様に国営石油会社と新石油業法の構想が浮上した。国営石油会社には精製・販売業界の反対が強く最後は融資業務を主とする石油公団に落ち着いた。石油業法は石油業界の過当競争は放置できないとの観点から、5年程度の時限立法というのが財界や業界の大勢意見だった。だが、通産省は石油業界への直接介入の意図が強く精製部門の許認可制と需給調整権を確保する永久立法を制定した。
石油業法の功罪にはいろいろ議論がある。石油業界に対する業法の大きな影響としては、個性的な経営戦略が乏しく、採算よりシェアを優先する業界体質が形成されたことである。前者は統制の本質に根差した問題であり、後者は需給調整の弊害である。業界はこれを早く直すことが必要である。