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「幼時英語教育の愚」 2004年05月12日更新

英語が苦手ということでは 日本人は世界でも指折りと言われている。 
情報技術革新に伴い 世界中どことでもいつでも情報交換ができるようになった今英語の必要性は以前より格段に増加しており いつまでも英語は苦手などと言ってもいられまい。

そのせいか 最近幼時英語教育の広告をよく目にするし また小学校で英語を必須 科目にするべしという声も聞くようになった。 勿論 英語をより上手く使えるようになるのであれば これに反対する理由はない。 しかし 幼時英語教育には やはり賛成できない。 

なぜなら 言語はそれを使う民族の文化と密接に繋がっているからである。 文化も英語国民のものを身に付けるつもりなら 幼時から英語を学ぶのもよかろう。 だがこの場合 日本での生活に不都合を生じることになる。 日本人として日本に住むことが前提ならば 子供にはまず正しい日本語を教えるべきである。 それでなくとも最近正しい日本語を使える子供が 少なくなっているように思える。

多分 子供が正しい日本語を 十分ではないにせよ一応身に付けるに必要な期間は小学校の低学年ぐらいまでだろう。したがって この期間は日本語を学ぶことに  集中させ 子供に英語などを教えるべきではない。 まして 幼時においては単に  子供を混乱させるだけである。 

つぎに 小学校で英語を必須科目にする件だが もしこれがローマ字教育を減らしたり 止めたりすることを意味するのであれば これにも反対である。 これからはパソコンのキーボードと無縁で生きていくことは不可能だが ローマ字を覚えていれば 日本語をローマ字入力できるし この場合キーボード操作は英語と同じであって非常に便利である(日本語での入力の必要がない)。

さらに 英語を教えると言うが 一体どんな英語を教えるのだろう。 発音か 聞き取りか 読み書きか 会話か。 米国の英語か 英国の英語か 豪州の英語か カナダの英語か ニュージ-ランドの英語か インドの英語か シンガポールの英語か。
夫々が異なった文化の下に 異なった英語を使っているのだが 一体どれを選ぶのが正しいのか。 一般に英語は一つと考えられているようだが 実際は千差万別なのである。 さて どうしよう。

筆者の意見を述べさせてもらうなら まず英語の勉強は小学校の高学年からで十分である。 その内容は読み書き つまり文章を読むことと 作文をすることが最も有効と考える。 これに平行して文法を学ぶ。 会話は 文法的に正しい英語を使えば発音がおかしくても 英語を母国語とする人は理解してくれる。 因みに 英国人が文法的に最も正しい英語を 口語として使っているように思う。 

世界には 他国籍語を自由に操る人たちが多いが 彼らに聞いても やはり母国語が中心にあり その他の言語は母国語と同じようにはいかないと言っている。 つまり 日本人であれば まず日本語が中心になるべきで 日本語で表現できないことを外国語で表現できるわけがない。 英語に限らず 外国語を使って世界的に活動したければ まず日本語できちんと読み・書き・話すことができるようになることが先決である。

(一本杉)

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