「税金を考える」 2005年02月16日更新
長期に亘ったデフレ現象も 漸く終息の兆しが見えてきた今日この頃であるが 案の定早速増税の動きが出てきている。 毎年巨額の赤字財政を余儀なくされてきた日本政府としては デフレ下ではできなかった赤字対策を何とか急ぎたいと考えるのも 当然と云えば当然であろう。 しかし これにより景気回復の芽を摘んでしまったのでは何にもならないどころか さらに深い泥沼にはまり込む恐れさえある。政府にはじっくりと腰を据えてこの問題に取り組んで欲しいと思う。まず出費を減らしそれでも足りない分を増税で補うのが順序であり 出費をどの位減らせるのかを明確にするべきだろう。 この最も重要な所を役人任せにしたのでは この目標はまず達成されないだろう。政治の力量が試される場面である。
ところで殆どの日本人は 税金は国或は地方自治体に取られるものという認識を持っているのではないだろうか。取られるという認識であれば 当然国民は取られないように努力する。税金の支払いは少ないほど好いということになる。 これが度を過ぎると脱税となり あるいは企業などがよくいう節税にしても 脱税すれすれのものがかなりあるだろう。
一方収税する側でも税金は取り上げるものと考えている節がある。 税金の支払いは国民の義務である等と言いながら 勝手に税率を決めて国民から取り上げる。若し国民が支払いを拒否すれば 法の下に処分されるわけだから 国民の立場は弱い。 こうした税を取る側と取られる側が織り成す図柄は まさに封建時代そのものであり決して民主主義のものとは言えない。
そこで両者ともに税金に対する考え方を変えるべきではないかと思うのだ。 まず国民の側だが 「税とは何か」をもっとよく考えるべきであろう。 取られるものでなければ一体何だろう。 筆者はここで税金をサービスの対価と考えたらよいのではと思う。国や自治体が国民に提供するサービスの対価である。 国が軍事力を持つのは国を外敵から守るサービスである。 警察も国民の生活の安全を守るためのサービスといえよう。 教育も国民の知的水準の向上を以って 生活をより良いものとするためのサービスである。 その他 諸々の社会的インフラの整備など 国や自治体は実に多種多様なサービスを国民に提供している。 無論これにはコストが伴うから そのコストを国民が負担しなくてはならない。 つまり国民はサービスの対価として税金を(取られるのではなく)払うのである。
だとすれば これはレストランで代金を払うのと同じであり 払う代金を高いと思うか安いと思うかは 与えられたサービスの中身による。 払う税金が高いのか安いのかを判断するためには サービスの中身をじっくりと検分すべきである。そして納得したら喜んで支払うべきであり 納得しなければその旨を正々堂々主張すべきである。
一方 国や自治体も税の支払いを受ける以上 税に見合ったサービスを提供しなくてはならないし 常にサービスの向上を図り 国民に安いサービスだと納得してもらえるよう努めるべきだろう。 こうした関係がうまく機能するようになれば 国民の間の税金に対する苦情も大幅に減るだろうし 国や自治体も胸を張って税金を受け取ることができるだろう。 また 脱税に関しても 国民からの非難の声がはるかに大きくなるのではなかろうか。
(一本杉)