「文化の相違」 2009年10月28日更新
4年前に郵政民営化の大きなうねりが押し寄せたが ここにきてその見直しという強い引き潮がおきている。なぜこうなったかを考えると日米の文化の相違に行き着かざるをえない。たしかに日本の郵便局は莫大な資産を所有しているにも拘らず その運用は効率的であるとは思えない。そこでこれを民営化させてその資産の運用に商機を見出したいとアメリカが目をつけたとしても不思議ではない。いやむしろ当然といえよう。ではアメリカのこうした意向を受け入れるのも当然かといえばかならずしもそうとはいえない。これに関しては事前に全国民的議論を活発に行う必要があったと思うが小泉元首相はアメリカの一の子分になりたいがゆえに独断的にかつ強引にことを進めた。
郵便局は明治の初頭に創設されて以来日本全国津々浦々にいたるまで組織を広げ国民との密接な関係を築いてきた。その信用は絶大で巨額の資金を国民から預かるまでになった。もし郵便局が利益優先の経営を続けていたらこれほどまでの組織には育たなかっただろう。郵便配達を通じて郵便局は国民の自宅を毎日のように訪問しており これが銀行とは違う対顧客関係を作り上げたと考えられる。頻繁に顔を会わせることにより郵便局は顧客情報を豊富に手に入れ顧客は郵便局を無条件に信用するようになる。こうした郵便局と国民との関係はおそらく日本独特のものだろう。これはつまり日本の文化のなせるわざとも思えるのである。
日本人は基本的に農耕民族としての遺伝子を強く残しているのではなかろうか。聖徳太子が日本初の憲法を制定した時にまず「和を以って尊しとなす」と決めたがこのような憲法は他に類をみない。農耕は一人ではできない。農地を開拓し水利を図るなど大勢の人の協力が必要であり 必然として集落を構成せざるをえない。そして皆が協力しあうことが皆の利益につながるのである。したがって「和を以って尊しとなす」という言葉は現実味を帯びてくるのだ。また天皇が未だに皇居内で毎年田植えの儀式を行っていることも日本という国が古来農業により成り立っていたことを示している。
一方アメリカ人は狩猟民族としての遺伝子を多く持っているのではなかろうか。狩猟民族は食料を手に入れるためには猟に出るしかない。農耕民族のように一年かけて種まきから収穫までを行うのとは大違いである。しかし猟に出たからといって間違いなく獲物が手に入るわけでもない。また成果は人によって大きく異なる。こうした生活を続けていると(1)結果を短期的に求める(2)他人を出し抜くことが成果に繋がる(3)大きな成果を挙げた人を褒め称える(4)獲物がいなくなれば移動するしかなく、したがって土地に対する執着心はない。こうした特徴が生まれるのも自然である。農耕民族の特性となんとかけはなれていることか。
今回の郵政にかかわる混乱は農耕民族の文化に狩猟民族の文化をそのまま持ち込んだことに端を発しているのではないか。これまで日本は外国の文化・文明を日本に合うように咀嚼して受け入れてきた。今回はその咀嚼という作業が抜け落ちていたように思う。いかなる文化も夫々良い面と悪い面を持ち合わせているものであり、異文化の良い面を自らの文化に照らし合わせて自らの文化の向上を図ることは必要である。しかし悪い面も同時に見て、それが自らの文化の中に受け入れることができるかどうかも判断しなくてはならない。日本郵政の今後に関しては、こうした議論を白日の下に行って国民の合意を得ることが必要だろう。
(一本杉)