「日本の役人」 2009年03月24日更新
日本に役人が生まれたのは明治維新直後のことである。維新により旧来の封建制度が崩れ代わりに先進西洋諸国にならって行政府が創られた。本来一般の市民がこれに加わるべきであるが、残念ながらそうした人材は市井にはあまりいなかったため当然のごとく徳川時代に武士であった人たちすなわち士族が大勢これに加わることになった。つまり明治政府発足当時日本の役人の殆んどが士族であったのだ。四民(士農工商)平等が明治政府の理念であったが、現実はそのようにはいかなかった。福沢諭吉は、「同じ銭を払って丸裸で銭湯に浸かっているのに、士族は旦那と呼ばれて威張っており平民は貴様といわれてかしこまっている」と理念と現実とのギャップを指摘している。
しかしこれは悪いことばかりではない。士族は武士道を背景にした倫理観を等しく持っており汚職などはあまりなかったようだ。また日本という国を先進諸国にひけをとらない国にしなくてはならないという使命感はつよく持っていた。給料はけっして充分ではなかったが、この使命感が支えとなって役人生活に不満を持つ者はいなかった。武士は食わねど高楊枝という言葉を思い出す。こうした精神は敗戦後の日本経済復のときにもいかんなく発揮された。民間と力をあわせて戦後経済復興の青写真を作りこれを実行したのは役人である。日本の優秀な役人の使命感のなせる業といえよう。
それでは現代の役人はどうだろう。現代の日本には維新後や敗戦後のような国家としての明白かつ単純な目標がない。したがって官民手を携えて仕事に取り組む場面にも恵まれない。これは現代の役人にとって不幸なことである。時代ははるかに複雑化しており必要な情報の収集や分析にも以前と較べて大幅に時間と手間を要するようになっている。これが役人の打つ手がなにかと後手にまわる原因となっていると思われる。それに加えて時代の風潮の欧米化にともない役人の倫理感や使命感が薄らいできていることも事実だ。平民を貴様と呼ぶ役人はいなくなったが同時に彼らは武士道精神も失った。彼らが省益や私益など身近なものに目を向けるようになったのも必然と言えるのではないか。
それでは現代の役人はどうしたらよいのか。いまさら昔に帰れといっても無理だろう。それなら役所のありかたそのものを思い切って見直したらどうだろうか。(1)まず外注可能な仕事はどんどん外注に出し役所の仕事を減らす。そうすれば深夜におよぶ残業はなくなるだろうしタクシー代の無駄遣いを指摘されることもなくなるだろう。(2)つぎに定年を65歳程度まで引き上げて働いてもらう。これにより天下りの必要性もなくなるだろう。天下りポストの確保のために無駄な金を使う必要もなくなる。(3)予算の未消化分の翌年度への繰越を認め褒賞を行う。そうすれば完全消化のために無理して金を使うこともなくなるだろう。
この他改めるべきものは沢山あるだろうが、これを役人に自らやれと言ってもやる筈がない。改革は国民がやるべきであり、政治家が国民の意向に従って行うべきものだろう。まっとうな政治家の出現が待たれるところである。
(一本杉)