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「日米安保条約について」 2010年04月06日更新

沖縄の米軍基地移転問題に関連して日米関係が揺れている。沖縄では基地の騒音問題などから こうした迷惑を沖縄が一手に引き受けている現状に対して不満が鬱積しているようだ。ただしこうした不満は日本政府に向けられているものであり 必ずしも米国に向けられたものではないだろう。こうした不満をできるだけ和らげるように努力するのは日本政府として当然のことであるが 安保そのものが不平等条約であるとする言論が広く日本国内に根付いており これが政府を動きづらくしているように思える。そこでちょっと安保条約をおさらいしてみよう。

終戦の五年後1950年に朝鮮戦争が勃発した。これが間接的とは言え米国と中国との間で初めて戦火を交えた戦争である。日本はこの時低迷する経済に苦しんでいたが 米軍の後方支援基地としてその勤めを果たすことにより経済が大きく浮上したのである。一方の米国はソ連や中国という共産主義国が拡大に向かうことにより自由主義が脅かされる恐れを感じ 太平洋側の防波堤として日本の地勢的な価値に注目する。共産主義拡大を懸念するのは日本政府も同じであったが 自国を守るに充分な軍備増強を支える経済力にはまだ遠くおよばず また平和憲法の存在がこれを邪魔していた。

こうした両国の思惑が一致して1952年の安保条約発動となった。米国は共産主義封じ込めのための太平洋側における足場を手に入れ 日本は共産主義の侵略に備えるに充分な戦力を平和憲法を改めることもなくまた大きな財政的負担をすることもなく手に入れたことになる。無論日本が要求すれば即座に米国が軍事力を提供するというものではない。しかし米国の目的がはっきりしていれば米国が動くか否かは事前に察知することができる。この条約は1960年により条約としての体裁を整えたものに改定されたが この時俗に安保闘争と言われる大学生を中心とした大規模なデモ騒ぎが起こった。本来共産主義封じ込めを狙った条約であるから 共産党が扇動されやすい学生を動員して反対運動をおこなったとしてもこれは当然のことであった。

その後約30年にわたって冷戦の時代となり 米国とソ連が軍事力拡大競争を続けた。この時代には安保条約はその存在の意義を示してきたと思える。しかしソ連邦の解体による冷戦の終結が 米国の安保条約に対する考え方に変化を与えたとしても不思議ではない。米国にとって現状では安保条約はせいぜい中国や北朝鮮をけん制する程度の意味合いしか持たないのではないだろうか。だとすれば巨額の軍事費を投入してこの条約を守る必要性は薄れていると考えるべきだろう。先日某米国高官が基地問題であまりもめるようなら米軍はすべてグアム島に引き上げるかもしれないと発言したと報道されたが これは単なる脅しではなく本音と受け取るべきである。

では日本はどうするか。共産主義国の脅威が薄れてきたのだから米国の傘も必要なくなったと考えるのか。あるいはこの条約は安上がりな国防手段だからできるだけ続けるべきと考えるのか。国としての明確な方針を明示するべきだろう。これをせずにこの条約に関して日本側が被害者意識を内側に秘めた態度で交渉を続けるようだと日米双方にとって良い結果は生まれないと思える。

(一本杉)

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