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Jエナジーが持株会社 日鉱金属と10月発足へ 2002年01月23日更新

ジャパンエナジーは、10月発足をめどに、日鉱金属との共同持株会社を設立するため、3月まで詳細を詰めるが、同社の野見山昭彦会長兼社長は、各地で開催された賀詞交換会で「持株会社」についての敬意と趣旨について説明、特約店の理解を深めた。この持株会社構想は、もともとはサウジアラムコとの提携話に付随して発生した歴史の長い課題だけに、同社のこの問題にかける熱意はなみなみならぬものがある。
 戦前は、三井・三菱・往友と財閥と呼ばれた企業集団は、持株会社によってコンツェルンを維持した。戦後の占領軍による集中排除法により、持株会社制度が禁止されて、最近に至った。
 エネルギー政策に呼応する意味で、昭和40年に発足したのが共同石油だったが、90年初めにサウジアラムコの日本進出に話が起こり、サウジによるSS経営は、通産省が難色を示したため、精製部門での提携の路線で日本鉱業・共同石油との交渉が行われた。  しかし、両者は海千山千のサウジとの交渉では、日本鉱業と共同石油が別々に交渉することで分断されることに危機感を抱いて、これが両者合併による、ジヤパンエナジーの設立に結びついた経緯がある。これが野見山会長がいう「今だから話せる」事実である。
 この時に、種々の理由から金属事業を日鉱金属としたわけで、日本鉱業が従来持っていた金属・石油と、共同石油の販売は、同じ基盤の上にあったので、1つのマネジメントにした方が、グループの力を発揮するのに最適との考えから、持株会社構想は発生したもので、そうした歴史の流れの中での動きであり、唐突に発生したものではない。
 昨年、6月にこの構想は1部のマスコミに報じられ、日鉱金属の上場廃止という内容で、同社の株価が急落したことから、即日持株会社論議を一時中断するのやむなきに至ったが、昨年9月に野見山会長の提唱によって自由討議を再開、結論として、各事業会社の自主独立を一定のルールの元で認めながら、持株会社が上場し、各事業会社は非上場にするということで基本合意に達している。
 10月に新しく発足する持株会社のトップは代表取締役会長に日鉱金属の坂本会長が、代表取締役社長・CEOに野見山会長が就任することとなった。中核を構成する事業会社は、ジャパンエナジー、日鉱金属、日鉱マテリアルの3社で、完全に持株会社の直轄的事業会社として位置付ける。
 その他の独立事業はグループ内のシナジーの有無、将来性、などを勘案しながら、できるだけ早期に株式を公開し、キャピタルゲインを得るようにするのが基本構想。
 こうした構想の中での持株会社の役割は、グループ戦略の策定、グループ経営資源の適切な配分と効率的な運用で、持株会社は、基本的なグループ戦略を決定するだけで、それ以外は全部権限を委譲するため、持株会社に蚕業機能が集中することはないとしている。あくまでも事業会社の自主独立を守ることによって、持株会社全体の企業価値を高める。                                  
グループ全体の長期ビジョンとしては、持株会社の目指す「グループ経営資源の効率化」、グループのアイデンティティーである「資源とエネルギー」、新エネルギーなど地球環境問題に合致した事業戦略である「環境対応などへの新規展開」の3つが挙げられる。

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