2011.03.17 のニュース
未曾有の事態の中での課題
東北、北関東全域、特に太平洋岸を破壊し尽くした震災の情報が刻一刻入る。石油タンクが押し流される、押し寄せる波の先に営業するSS・・・。港湾の油槽所にも、街中のSSにも、社員・スタッフがいたであろうことは想像に難くない。
一夜明けた被災地では、救援活動が始まり、救難ヘリを飛ばし続け、道を回復する重機を動かし続け、被災者を救う緊急車両が走り回る。数百万人の被災者が、暖を取るための灯油を求め、唯一の移動手段のためにガソリンを求める長蛇の列。確かに石油の姿はそこにあった。
全石油事務局も13日夕から24時間体制の緊急シフトを行い、石油を求める自治体・病院などからの緊急照会、各種問い合わせに対応した。宮城、福島、茨城の被災地の役員会社ばかりか、日本海側の役員会社にも照会、供給確保のために協力を得た。文字通り誠心誠意に対応していただいた組合員協力者には、本当に頭の下がる思いがした。自らが被災しながら、安定供給に多くの時間を割いた被災地の組合員とスタッフは神々しくさえ思えた。
北海道を除く京浜以北の9製油所の大勢が停止した石油は、それでも使用可能な物流を総動員し、知恵をめぐらし、休みなく働いているが、想像をはるかに超える未曾有の事態の前に、生き残った石油の兵站線は、その任に耐え切れなくなった光景が随所に出てしまった。電力不足による社会心理が出てしまった首都圏も、玉切れによる営業停止SSが続出、求めるお客様に対して、売る物がない、という姿を露呈した。
元売、SSは懸命に善後策を打ち出しているから、極端な玉切れ状況は必ずや改善に向かうだろう。しかし、合理化を重ねた精製、油槽など物流のもろい姿を出現させてしまったことを、我々は胸に刻みたい。震災が突きつけた現実問題に対して、より良くなる機能を備える姿になることで、余りにも多く出てしまった犠牲に捧げたい。
自己責任という言葉でくくることは可能だが、規制から自由化に転じた行政リードは、ある意味では、有事の際には脆弱であることを露呈した。在庫は最低限が良い、物流は相互乗り入れなどの合理化余地が大など、石油産業の経営が目指した姿は、行政が道筋を示し、その経済合理性を追求した結果ともいえる。余力を持つことの重要性を政治、行政とともに深刻に再考したい。