2011.03.24 のニュース
震災で見えたもう1つの側面
大震災の当日、激甚な被害に遭った東北・北関東エリア近辺とは様相が異なる出来事が起きていた。
震度5強~6弱を記録した首都圏公共交通網は麻痺に陥り、都内の勤務地、学校などから徒歩で自宅へ向かう帰宅困難者が多数発生した。バスは動いていたものの、道路は空前の大渋滞。鉄道の運行再開は大混乱し、通信機能も大障害が続く。家族の安否を気にかけ、陽が暮れないうちに歩き出そう、翌日は土曜だからなど、様々な思いから家路に向かう帰宅者が時間経過とともに増え、車道へとあふれ出た人々が各地に出現する光景を目の当たりにした。
大地震の発生を受けて、都内を中心とする首都圏SSはどう対応していたか。まず、人的・物的被害の有無や施設の安全確認。お客様の誘導。一時的に店を閉め、スタッフが地下タンクなどの設備をチェックする場面も見られた。
やがて、燃料を求めるユーザーが営業中のSSに押し寄せてくる。冬の間も余震は続き、テレビ報道などから社会不安の増大に拍車がかかった。長蛇の列を前に、在庫量の心配は高まるばかりで、給油待ち車両をさばく人手も圧倒的に足りない。完売したグループSSから他SSに人員を移動させることができた店はまだいいほうで、地場SSは経営者をはじめ家族・スタッフ総出で、給油作業や交通整理のため10数時間にわたり、立ちっぱなしで休む間もなく燃料切れになるまで働き続けたという話を多数聞いた。
他方、不安感を抱いた徒歩帰宅者に道順を尋ねられ、できる限りの説明に努め、数時間歩き続けて疲労が見える方々にトイレを貸したり休憩場所を提供したSSも相当数にのぽったであろうことは想像に難くない。あれだけ多くの人々が現実に歩いていたのだから。品切れになりロープを張った後も歩道沿いに立ち、案内役を買って出たSSもあった。サボートステーションの面目躍如を果たしたといえよう。
首都圏の石油組合は、阪神淡路大震災を教訓にした災害時帰宅困難者支援協定を行政と締結しているが、以後、機会あるごとに訓練に参加してきたSSは経験を生かすことができたのではないか。大多数のSSは、懸命かつ良識的な運営に努めた。だが、ごく一部に不実な行動が見られたとの指摘もある。その評価は、これから付いて回ることになろう。