「自己責任について」 2004年09月08日更新
イラクにおいて日本人三名が武装勢力により捕捉された事件があった。これは誘拐 事件であり 武装勢力は誘拐犯である。犯人は自衛隊の即時撤退を要求した。
これを呑むわけにはいかない日本政府は 直ちに人質救出に全力を傾けた。 これは当然と思えるし 結果として政府は良い仕事をしたと言えよう。
問題は これを契機に自己責任という言葉が 政府関係者から盛んに聞かれるようになったことだ。 莫大な費用を被害者に請求するべきと言った者も居た。 これは おかしいのではないか。 たしかに 政府はイラクへの渡航を自粛するよう警告して いたし にも拘らず渡航する者は自己責任が前提となる。 しかし 犯人の要求が自衛隊の即時撤退である以上 責任は自衛隊を派遣した政府に存在するのではないか。犯人の要求が金銭であったなら これまでの他国における誘拐事件と同様に扱われたであろうと考えると このことは政府も分かっていた筈である。
それなのに なぜ自己責任を強調する議員が大勢いたのだろうか。 おそらく自衛隊を派遣した政府に責任があると言われたくなかったのだろう。 それにしても暴論だと考えているうちにあることに気が付いた。 それはこの事件を報道するマスコミ 特にテレビの報道姿勢である。 テレビは即座に被害者の家族を取材し 家族に自衛隊を撤退させてほしいと言わせた。 遂にはスタジオに家族を集めて 被害者を助けてほしいと合唱させた。 これは政府にとって 大変な圧力となったと想像できる。 これに対する反発が 自己責任論として現れたのではなかろうか。
このテレビの報道姿勢は 被害者家族に大量の抗議文が寄せられる事態を生み 本来なら解放と同時に平穏に戻れた筈の被害者にも 帰国後想像をこえる精神的重圧を与える結果となったのである。 この責任をマスコミはどうやってとるのだろうか。
かねてより ニュース番組の娯楽化を懸念しているが この傾向が様々な事件の被害者をかえって苦しめることが多いようである。 これは日本だけではなく 世界的な傾向のようだが 是非マスコミの皆さんには 現状を反省し あるべき報道指針を確立してほしいと願う。
尚 自己責任という言葉だが 我々がこの世で生きていくことこそが自己責任なのであり 一般語としてはそれ以上の意味を持つ言葉ではないと考えるのですが 如何でしょうか。
(一本杉)