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「大震災」 2011年04月12日更新

今回の本稿はやはり東日本大震災を取り上げないわけにはいかないだろう。
本年一月の本欄の末尾に今年は何か大きな事が起こりそうな予感がすると書きましたが まさかこんなに早くそしてこれほど大きな事が起こるとは予想していませんでした。地震と津波と原発事故のまさに三重苦です。被災された多くの皆様方は想像を超えたご苦労をされていることと存じます。しかし世の中 決して悪いことばかりではありません。必ず良いこともあります。将来への希望を捨てずにこの苦難を乗り越えていただきたくお願い致します。我々も及ばずながら応援させて頂きます。

さて 今回の被害は大きくわけて(1)地震とそれに伴う津波(2)原発事故の二つに分けられます。(1)に関しては三陸とよばれる地域が過去に大地震と大津波に何回も襲われていることは国も地域の方々もよく知っていることでありそれなりの備えはかなり充分にしておられたようです。にも拘らず今回のような大被害を受けたのは 今回の地震の規模が想定を遥かに超えたものだったからでしょう。ここでの教訓は自然の力というものは人間が予め想定できる範囲に収まるようなものではないということです。

地球上の大陸は4億年の周期で一つに集まったりばらばらに分かれたりを繰り返しているそうです。自然の力とはこのように想像を絶するものがあり衆知を集めても人間が対抗できるものではありません。そして忘れてはいけないのは
これが4億年に一度突如として起こるわけではなく毎日のわずかな動きの結果として起こっているということです。つまり 何時こうした地球の動きの影響を我々が受けたとしても不思議ではないのです。無論出来る範囲内で対策を講じることは必要ですが 同時にどうしようもない力に襲われることも常にあり得るということを日ごろから念頭に置いておくことが大切でしょう。

さて 次は福島原発事故ですがこれに関しては若干人災と言える部分があるように思えます。大地震に続く大津波に襲われて原発が緊急停止に追い込まれたところまでは天災でしょう。しかし非常給電システムが働かず原子炉を低温休止させることができなくなったところからは人災とも言えるのではないか。天災に見舞われて緊急停止した原発を安全に守るべきシステムがこれほどに脆く
破壊されてしまうということは本来その役目を果たすように設計されていなかったことになる。つまりこれは人災だ。天災すなわち自然の力は時には人間の
想像がおよびもつかない働きをする。これを前提に設計されているべきではないのか。通常時には無駄遣いと思えるこうした投資が非常事態を救うのだが 作った装置が非常時に作動しないとなるとこれこそが無駄遣いなのである。

さらには事故後の政府および東電の処理の仕方にも問題があったように思える。
事故に対処する装置がすべて電力に依存している以上 電力がなければなにもできないのは明らかである。事故後数日にして日本に来た米国の専門家チームがいち早く廃炉にすることを進言したようだが 日本側は修復にこだわった。
勿論修復できるものであればそれでよいのだが 米国の専門家チームの目には
それが不可能と映ったのだろう。結局は東電の会長が廃炉すると発表するのだが これがつい数日前のことである。この間に事態は格段に悪化していた。

そもそも国土が狭く人口の多い日本のような国では 電力を原発に頼るのは非合理的であると言わざるを得ない。それに加えて日本は地震や津波さらには火山の噴火が多い国である。国も電力会社も原発は安全であると言い続けて原発を増やしてきたのだが 今回の事故を契機に電源のあり方について深く議論して貰いたい。原子力は一旦制御不可能となった時の被害損失は計り知れないのが不気味である。

ps・ 本稿は3月中に出稿されるはずでしたが 地震後の停電や交通網の混乱などで執筆が遅れ申し訳ありませんでした。あらゆる部門での混乱ができるだけ早く平常に戻ることを祈っております。

(一本杉)




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