「愛国心」 2006年03月20日更新
最近政府の内部で愛国心を学校で生徒にもっと教えるべきだという議論が高まっているようだ。勿論国民が愛国心を持つことは決して悪い事ではないが、問題は愛国心とはなにかという定義が明確でないことだ。そしてどのようにしてどのような愛国心を教えるのかもはっきりしない。
もし政府の言う愛国心が、他国より日本のほうが優れているという差別意識を意味するのであればこれは危険な考えだろう。こうした考えは他国との間に緊張感を醸しだし、平和を信条とする日本国として望ましいものではない。ではどんな愛国心なのだろうか。
そもそも愛国心とは学校で教えなければ身につかないものとは思えない。もし国民が自分の生活のありように満足していれば、当然自分が住んでいる国は良い国だと思うだろうし、その良い国を大事にしたいと思うだろう。そこから自然と愛国心が生まれてくるのではないか。この反対に国民が不満足であれば愛国心も生まれないことになる。国民の間に愛国心が欠如しているとすれば、それは不満足に感じている国民が多いということであり、つまり政治が貧困であることに繋がる。学校で愛国心を教えるより、国民の不満感を和らげる政治を行うほうがよっぽど国全体としての愛国心の向上には効果的だろう。
ところで愛国心という言葉は、自分の国さえ良ければ他はどうでもよいとも聞こえ、グローバリズムの時代になじまないのではないか。愛する対象をなにも国に限ることはない。家族を愛し、人を愛し、自然を愛し、地球を愛する心こそ21世紀にふさわしいものではなかろうか。いかに早くこの愛国心という言葉が持つ前時代的な雰囲気から脱することができるか、これこそが人類の将来を明るくするために必要なことだと思う。
(一本杉)