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「強気な海運会社」 2006年02月02日更新

先日の新聞に日本の大手海運3社がタンカーの保有量を2008年までに倍増する計画という記事が載っていた。予想通りの報道だが、この類の報道を見る度に感ずることがあるので以下に述べてみたい。

まず日本の企業は常に他社と足並みを揃えて行動する傾向があることだ。誰でも分ることだが、投資を行うのに他社と足並みを揃えていてはそのリターンはたかが知れている。なぜなら同じように投資を行った他社が何れも将来の競争相手になるからだ。一方需要が減少した時には、全社が同時に過剰投資を抱え込むことになり投売りが加速されることになる。 つまり足並み揃えた投資は割が合わないのである。にも拘らずなぜ日本の会社は足並みを揃えたがるのだろうか。

第一に日本の企業の意志決定者の殆んどがサラリーマンである事と無縁ではあるまい。 彼らにとって投資の結果から得る報酬はさしたるものではなく、収入の大半は固定給である。したがって他社がやらないことを推進するリスクをおそれる気持の方が強くなり、リターンが低いことは分っていても個人的なリスクの低いほうを選ぶのではないか。減点主義の会社ほどこの傾向が強いだろう。 

次に日本の会社の大半が意思決定のプロセスとして採用している稟議制度も、こうした傾向を助長していると思える。まずプロジェクトを立案する現場の課長が判をついて部長に回し、部長も同様判をついて上位権限者に回すというプロセスである。最終権限者のところに到達した稟議書には、管理部門の判も含めて数多くの印鑑が捺されている。これを見た最終権限者がこの稟議を棄却するには大変な能力と勇気が必要であり、通常はそのまま可決となる。
実に見事な責任の分散であるが、それゆえに誰も自分がその件の責任者であるという自覚がない。A社もB社もやっているのだからと、責任の所在が分らないまま投資は行われていく。このような投資が上手くいけばそれこそ驚きである。

戦後の日本を振り返ってみると、大きく飛躍した企業の殆んどが創業者経営によるものである。こうした企業では当然のことながら創業者が自らの責任において事業を遂行してきており、上記のような日本企業の問題点を抱えていなかった。無論、責任者が間違えれば企業が消滅するリスクも負っていたわけだが、そのなかで成功した企業が飛躍を成し遂げたのである。

話しを海運に戻すと、ギリシャの船主はオナシスなど世界的に成功した人達が多いが、彼らに共通した経営手法は不況で船価が暴落しているときに船を買い好況時に値上がりした運賃を稼ぐか、或いは船を売却して大きな利益を手にし次の不況時にさらに多数の船を買うということを繰り返して大きくなった人達である。これもまた示唆に富んでいると思うのだが。「人の行く裏に道あり花の山」。

(一本杉)

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