「日本の人口は少ない?」 2006年01月13日更新
2005年度の出生数が死亡数を下回り日本の人口が初めて自然減となったという。
政府もマスコミもこれが続くと国力を弱めることになると捉えているようだ。
2005年12月23日の日経新聞などは、これを放置するのは次世代への責任放棄であるとまでその社説でのべている。まことに奇妙な話しだと思うのだが。
現在1億2千万を超えている日本の人口は本当にまだ少ないのか。国土の平地面積1単位あたりの人口を見てみると、日本は英国の8倍となっている。これでもまだ足りないのだろうか。それなら2億でも3億でもとにかく多ければ多いほど良いと考えているのか。それも違うと云うなら日本の適正人口を具体的な数字で表わしてほしいものである。 人口が減少に向っているのは国民が我国の人口は飽和状態にあると感じているからではないだろうか。
こうした議論なしに少子高齢化や人口減少を否定的に捉える意見の底流には、これにより既存のシステムが通用しなくなることに対する恐れが垣間見える。
しかし考えてほしい。既存のシステムは、低賃金・若い労働年齢・人口の自然増・ピラミッド型の人口構成・高度経済成長・終身雇用などなどこうした戦後長い期間続いた状況に見合って作られたものであり、状況が大きく変った現在これが通用しなくなるのはむしろ当然である。ならば過去の状況に見合ってできた既存のシステムを現在の状況に見合った新しいものに変えていくのが妥当な策と云えよう。
死亡数が増えるのは高齢化社会となった今では当たり前のことだが、忘れないで欲しい、これが過去の人口自然増の結果であることを。年金・医療制度の整備・生活環境の改善などの結果であることを。出生数の減少も同様に合理的である。平和な時代が続き生活環境も良くなった現在、国民は種の保存に対する心配が少なくなり、その分自分の生き方にこだわるようになったのだろう。であれば既存のシステムを前提とした施策は、どんなものであれ役にはたつまい。国民は国や企業のシステムに合わせて子を産み育てるわけではない。人口は間違いなく減っていくという前提で、機能しなくなってきた既存のシステムの修正を行うべきであろう。
アメリカでは多数の移民を継続的に受け入れることにより労働コストの上昇を防いでいる。これは広大な国土を持った多人種社会だからできることで、同じことを日本でやろうとしても国土は狭いし、独特の文化を持った社会であるがゆえに難しかろう。したがって日本では、人口が減少するなかで如何に質の高い生活を国民に享受してもらうかに重点を置いた策を講じる必要があるのではないか。
(一本杉)