「地球は泣いている」 2005年12月14日更新
前々号にて地球が有限体であることを強く認識する必要性について述べたが、つい先日生産性本部主催のシンポジュームで恐ろしい話しを聞いた。分科会のひとつで東京大学の山本良一教授が発表したものだが、現在人類は海が吸収できる量の倍の炭酸ガスを空気中に排出しているという。 この吸収できない分が毎年空気中に蓄積されているので、温暖化は着実に進行しているのだそうだ。
この結果何が起こるかといえば、氷河の後退もしくは消滅、森林の砂漠化、水不足、海流の変化、漁獲量の減少、大規模難民の発生、ひいては核戦争をすら招く恐れがあるという。 そしてこれらの大半は今後20-30年の間に始まり、遅いものでも50-60年の間には間違いなく起こるという。 山本教授が強調していたのは、これは世界の百数十名の科学者が人智の限りを尽くして検討した結果であり、科学的な信頼性は高くこれに科学的に反駁するのは難しいということだった。この前提に立つと、今日生まれた赤ちゃんはその人生の中でこの危機を経験することになる。 つまり差し迫った話であり遠い先のことではないのだ。
では一体我々は何をなすべきか。まず現在の使い捨て文明に決別することだろう。 大量生産―大量消費―大量廃棄の文明を支える力は、最早地球は持っていない。そこでまず徹底したリサイクルに取り組まねばならない。 再利用できるものはすべて再利用し新たな資源の投入をできるだけ避けるのである。この試みは現在すでに行われているが、経済性が伴わないために大きな流れとはなっていない。したがって経済性を生み出す努力が必要だろう。たとえば税制を活用して再利用に合理性を付加するなどである。
これは当面の策であるが長期を保証するものではない。長期的に持続可能な経済活動を考えるべきである。ここにおける大きなヒントは、人類は何故過去数十万年間も生き続けて来れたのかという質問である。無論過去の経済活動に較べれば地球はとてつもなく大きな物であっただろう。 しかし経済活動が小さいということは使う環境も小さかったということであり、その小さな環境の中ではやはり環境汚染や破壊があったはずである。 そしてこうした問題に夫々の時代の人類が知恵を絞って対応していたらしいことが発掘された遺跡の調査から分ってきている。天に与えられた資源を使いすぎないように配慮していたようなのだ。したがって長期持続可能な経済活動とは、昔を再現することではなかろうか。
けれどエネルギーだけは昔に帰るわけにはいかない。消費エネルギー量が昔とは比較にならないほどに大きくなっているからである。そこでこれは筆者の持論だが、できるだけ早く水素をエネルギー源とする社会を創るべきだろう。
水素は無限であるし、無公害でもある。水素なしには本当の長期持続的な経済活動は得られない。地球の環境破壊がこのように差し迫っているのであれば、もはや日本のことだけを言ってはいられない。世界中が協力して水素エネルギーの開発に努めるべきであろう。
(一本杉)