古戦場 2008年06月16日更新
東京のど真ん中に古戦場がある、琵琶湖に似せた池あり、京都清水寺似せた寺あり、梅雨時の今頃か僅か1日で数百人の屍を晒した戦場なり、今は東京藝大、国立博物館、動物園が並ぶ文化と憩いの場に姿を変えている、杜の激戦場所には彰義隊の墓所があり歌が、あはれとて尋ぬる人もなきたまのあとをし忍ぶ岡の邊の塚と刻まれていた、賊軍とされた悲哀が滲む此処は上野の杜である。
雨煙る杜から日暮里方面へ歩き慶喜が眠る谷中を抜けると薩長勢に敗れし彰義隊士が逃げ込んだのか或いは匿ったが為か銃撃を受けた寺門に今尚9発の弾痕があり激戦を語り続ける経王寺が佇んでいる。
上野戦争とは何か、現状打破勢力勤皇の志士に対し没落徳川に義を尽くす現状維持勢力の彰義隊とみるならば変革期によくある「志」と「義」を掲げる勢力の戦いでもある。
勝敗は軍装備の優劣や戦略戦術の差に拠るものだ、戦国時代は槍や刀対鉄砲、戊辰戦争では鉄砲対大砲、太平洋戦争では戦車、艦船対戦闘機、爆撃機か。
薩長勢は伏見鳥羽から上野、会津、函館とアームストロング砲等の強力軍備に加え、錦をたて、策略をも交え旧幕府の義を壊滅させた。
回転の時代に志あるもの強く義では纏まらない、薩長等には先見的決断力と行動力に溢れるリーダー群がいたからこそ強い、義に殉ずるとか調整型村長では欠陥リーダーじゃ。
SS流通業界は資源高にくわえ需要が下降トレンドの切迫した多難な時代、更に低燃費ハイブリッドの堅調どころか低炭素化社会にむけ電気自動車の商業化が間違いなく2/3年後に訪れるだろう、志士となり決断すべき問題が多々ありだ。
生存競争が依然として続くなかで勝ち抜くssは何処か、淘汰されずという事は相手を淘汰する事であり淘汰する力がなければ撤退を視野に入れ、戦闘力あらば競争力ある武器(施設)を擁し磨きをかけ、戦略的に地域や顧客を囲い込み他勢力を排し淘汰していくのが歴史の伝えるところじゃないかな、無論様々な生活産業として変身する道もあるが。
されど、此れマンパワーがうまくワークしての話じゃ、一部の航空会社にパイロット不足から飛行機を飛ばせなくなりマンパワー採用力が事業存続の鍵を握る象徴的な笑えぬニュースとなった、更に名ばかり管理職やワーキングプアーが社会問題化している。
SS業界は既に直面し処遇の見直しを進めているが大村益次郎が農民を組み入れた奇兵隊を創出したように、今こそ業務の構造改革に加え革命的視点からの新採用基準が必要とされている。
人、物、金ありてこそ事業が成り立つとはアタリキシャリキか
風来坊47