「エネルギーの転換期」 2008年07月28日更新
長い人類の歴史の中で燃料としては木が使われてきた。その実に長い期間が過ぎてやがて石炭が燃料の主役となる。石炭はその強い火力と貯蔵や輸送の利便性から経済を支えるエネルギー源として重宝された。外燃機関の発明により 汽車や汽船が開発された。汽車は馬車にとって代わり汽船は帆船にとって代わった。こうした輸送手段の効率化が19世紀から20世紀にかけての世界経済の 発展に大きく貢献したのである。
石炭は日本にも存在したので、三井や三菱などの財閥が国内で炭鉱開発に力をいれ、一時は黒いダイヤとも言われた石炭により巨額の収益を上げると共に雇用の拡大にも貢献した。しかしそれもつかのま、石油の登場により舞台は大きく転換する。
石油は100年以上前からアメリカで生産され、これを使った内燃機関が発明されてフォードが自動車の大量生産を始めたのは有名な話である。空を飛ぶ飛行機も内燃機関の発明により誕生したのである。しかしこの頃のガソリンはかなりの高値であった。スタンダードオイル(現在のExxon-Mobil)が米国内の中小油田を買い占めて巨大石油会社としてのし上がったのもこの頃である。
このように比較的高価であった石油を、一転安価で豊富なエネルギー資源に変えたのが中東地域における巨大油田の発見である。これはそれまでアメリカにあった油田とは規模といい採掘コストの安さといい桁外れのものであった。したがって欧米の石油会社が競って中東地域の石油採掘権を手に入れ、その開発を行った。海外の石油に目を向けるようになったこれらの会社は、さらに中東以外でも石油開発に注力し世界各地で新しい油田が開発されるようになった。発見された石油は安価でかつ大量であったため、たちまちにしてそれまでエネルギーの中枢を占めていた石炭を駆逐していったのである。
敗戦後の日本の復興も安い石油によるところが大きかった。おもだった工場がすべて破壊された日本では経済復興のためには新しく工場を建設しなくてはならなかったが、ちょうど安価な石油があふれてきた時代と重なったため、エネルギーとしてもまた化学原料としても石油の輸入を前提に海岸線に最新の大型工場が建設された。こうして日本は世界で最も競争力のある工場群を持った国として高度経済成長を遂げたのである。
このように石油の恩恵を受けた経済発展が半世紀以上にわたって続いたが、石油も所詮有限の資源であり消費の拡大につれて供給圧力が弱まってくる。インドや中国という巨大人口国が経済の浮上を見せるにつれて、将来の供給に関して不安感が出てきても不思議ではない。過去における石油危機はいずれも人為的なものであったが今回は違う。急増する世界人口が懸念の底辺にあるのだが政治家もジャーナリズムもどこを見てもこれには言及しない。人口問題はタブーということなのだろうか。
このように考えるとどうやら世界は新たなエネルギー転換期にさしかかっていると思える。石炭の埋蔵量は石油よりはるかに多いがCO2の排出量が増えることになり石炭の復権は難しそうだ。天然ガスも石油を上回る埋蔵量が確認されているが、輸送や貯蔵にコストがかかり石油にとって代わる安価なエネルギーとはなり得ないだろう。欧米その他の諸国では原子力に傾きつつあるようだがその安全性には不安が残る。
当面は太陽光・風力・潮力などのエネルギーを複合的に利用して凌いでいくしかないのだろうが、やはり究極的なエネルギー源は水素だろう。これは無限であり無公害である。現にグリーンランドでは地下熱発電で得た電気を使って水を電気分解して水素を作りこれでバスを走らせているようだ。しかし日本などでは発電に原子力や化石燃料を使っており、電気分解ではコスト面での解決にはならない。安く水素を作る技術の開発が求められる。これまでのエネルギー革命はあるとき突然に起きており、水素に関しても同様であろうと期待している。世界中が地球のため人類のためにこの技術の開発に力を合わせて注力する
ことを望むものである。
(一本杉)