「日本にカーレースは必要ない」 2005年05月20日更新
ゴルフが趣味なので、御殿場界隈のゴルフ場で年に数回はプレーするのだが、その度に感ずるのは近くのカーレース場の騒音が耳障りなことである。この騒音はゴルフ場の静かな自然の雰囲気にまったくなじまない。だからと云うわけではないが、この資源の浪費と環境破壊の典型のような代物は日本に必要ないのではないか。
地球人口は年々増え続けており、これに伴い資源の消費量は増加し環境の破壊も進んでいるのが現状である。50年前であれば、石油はあり余っており価格も安く(現在バーレル当りの原油価格はUS$50を超えているが当時の価格はUS$1強であった)、ガソリンの浪費はむしろ豊かさを実感することにつながった。 自然はまだ地球上を大きく覆っており、その破壊を気にすることなく経済の成長が優先された。 より大きなエンジンでより早く走れる車を開発し、そのスピードと耐久性をメーカー間で競うことが技術の発展を招くと皆信じていた。だが現在の地球環境はすっかり変ってしまっている。
現にトヨタを筆頭に各自動車メーカーが今注力しているのは、ハイブリッドカーなどの省エネルギー型の車である。 石油は間違いなく枯渇への道を歩んでいるのであり、これは石油が次第に値上がりして行くことを意味する。 したがってガソリンの消費量を減らしても性能の落ちない車をいち早く開発できた者が勝者となる。米国のGMやフォードの業績が著しく悪化しており、これが新たな日米経済摩擦を生むのではないかと懸念されているが、業績悪化の原因の一つが米国側が省エネルギー型の車の開発に遅れをとっているからだという。資源の浪費が当たり前の国の会社であるが故に、変化に対する反応が鈍かったのであろう。
このようにメーカーの将来志向が省エネルギーに向かっているのだとすれば、一体何の為にあのような騒音と資源浪費のレースを続ける必要があるのだろうか。 ましてや日本は資源小国であり、エネルギーにしても土地にしてもそして鉄などの金属資源にしても無駄にしてよい物など一つも無いのにである。 あれは明らかに前時代の遺物と捉えられるべきものであり 時速100km以上のスピードが許される道路が全く無い日本に於いては、若者のスピード違反をそそのかすだけである。
むしろ省エネ性能を競うレースをやったらどうだろうか。その方がはるかに現代的なレースと云えよう。省エネには様々な方法があり、どの方法が最も有効か確認するためにもこのレースは効果的と思うのだが。 無論耐久性を競うレースも必要かと思うが、これに関してはアフリカのサハラ砂漠のレースにでも参加していれば済むことであろう。
(一本杉)