「テロは防げるか」 2005年07月25日更新
ロンドンで大規模なテロ攻撃があった。無差別に多数の人間を殺戮する残虐な行為である。ちょうどG8会議が英国で行われている最中であったため、その宣伝効果も抜群であった。同時多発的に計画されたもので、おそらく相当のプロの仕業であろう。
さっそく日本のメディアは、危機管理の専門家や評論家を集めて日本がテロの標的になる可能性や、それを防ぐ手立てについて論じていた。 意外に思えたのはこれらの諸氏が案外楽観的であったことである。日本では外国人が目立ちやすいので日本での活動は容易ではないとか、陸続きでないので人にせよ武器などの物資にせよ搬入し難いなどと云っていた。
しかし企業や地域によっては外国人の密度が平均よりはるかに高いところがあり、こうした所では外国人はとくに目立つということはない。 また北朝鮮が大勢の日本人を北朝鮮に拉致していたことや、麻薬や銃器などの密輸が後を絶たないことを見れば、海がテロリストから日本を守ってくれる保証はまったく無いことは明白である。さらに云えば、日本人や日本在住のアジア人がテロリストに協力していればテロの実行はまことに容易であるはずだ。つまり日本だけがテロを実行し難い国であるという説は間違いである。
ではどうやってテロを防ぐのか。監視カメラをいくら増やしてみたところで、コストの面からその数には限りがあるだろうし、またこれは事後調査には役立っても予防には無力である。はるかに有効なのは国民全体が監視の目を光らせることだろう。一億を超える国民一人ひとりが常に異常なものに対して敏感になれば、これは立派な監視網となるはずである。そしてコストは殆どかからない。とは云っても具体的な目の光らせ方については国が明確なガイドラインを設定して、国民に周知させることが必要だろう。テロリストの側に立って考えれば、これが徹底されるとずいぶんと仕事がやり難くなるはずだ。
ところでこの場合の問題点は、国民の自由やプライバシーが制約される恐れがあることだ。したがって多少の不自由を覚悟してもテロ防止の為にやるべきだという国民の合意が必要となろう。そのための議論を始めるのに早すぎるということはない。早急に国としての考えをまとめて国民に諮るべきである。
(一本杉)