「原油価格と探鉱開発の関係」 2005年08月24日更新
このところニューヨークの原油価格はバーレル60ドルを大きく超えて推移している。
これは前例のない高値であり、雰囲気としては近い将来数年前の20-30ドルの水準に戻ることはなさそうに感じる。 こうした現状を目の前にして思い出すのは約30年程前に起きた原油価格の変動である。
英国と欧州との間に横たわる海域を北海と呼ぶが、この海域に接する各国が油田開発の為の夫々の海上鉱区を協定し決定したのが1960年代初頭のことである。 その後英国を筆頭に油田の存在を確認するための探鉱活動が活発に行われた。 その結果いくつかの有望な油田が発見され、原油生産のための開発段階に入ったのが70年代初頭のことである。
ところでこの開発が決定されたころの中東産原油の価格はバーレル当り1ドル強であったが、北海原油のコストはバーレル当り4ドル程度になると云われていたのである。
つまりその時点で北海原油を生産し販売すれば巨大な赤字を生むことは明白であったのだ。 にも拘らず北海油田開発には巨額の投資が行われた。
その結果どうなったかと云えば、73年に第一次オイルショックが起きて原油価格が暴騰し、中東産原油の価格も一気にバーレル当り10ドルを超えることになったのだ。
勿論その後生産段階に入った北海原油は巨額の利益を生むことになり、国際収支の恒常的赤字と暴落するポンド相場に悩んでいた英国は、これによって経済の建て直しに成功したのである。
90年にソ連邦が崩壊すると、旧ソ連邦の油田開発にメジャーオイルが目を向けることになる。カスピ海や黒海沿岸及びシベリア地域には既に数多くの油田が存在していたが、旧ソ連の技術的後進性のために思うような生産が行われていなかった。そこで欧米石油資本は最新技術を携えて既存油田の生産効率向上と新規油田の開発を目指して積極的に投資を行うのだが、これが90年代後半のことである。
これら旧ソ連圏の油田の問題点は消費地から遠いことにある。 まずパイプラインで原油を最適の港まで運び、そこからタンカーで消費地に送るのだが距離が長いため、そのコストと政治的リスクが障害となる。 90年代の終わりごろに中東産原油価格はバーレル当り10ドルにまで下落したが、丁度そのころ筆者が簡単にソ連圏原油のコストを計算したところでは、欧州持込渡しで25ドル程度と試算された。これが正しいかどうかは分らないが、何れにせよ当時の価格ではとても引き合わない投資であったことは確かであろう。
これらの原油はこれから生産が軌道に乗り販売されることになるのだが、奇しくもこの時期に原油価格の高騰が起こり、すくなくとも現時点では史上最高と云っていい価格レベルを維持しているのである。単なる偶然なのか、あるいは何らかの力が働いているのか、本当のところは分らないが現在起こっている事が約30年前に起こった事と極似していることは確かなのである。
(一本杉)