「歴史認識」 2006年04月19日更新
歴史を振り返って評価をするときに現代の物差しで測ろうとする人が多いが、これは明らかに間違いであり何の意味もないことである。歴史上で起きた様々な出来事は夫々の時点における現実であるから、その時点でその現実を支えた合理性が必ずあったはずなのである。その合理性がどんなものであったかをまず知らなくてはならない。その上で歴史上現実に起こった事を吟味して初めて出来事の本当の姿が見えてくる。
忠臣蔵の吉良邸討ち入りを例にとれば、現代の物差しではヤクザの殴りこみと同じで殺人罪以外のなにものでもない。しかし当時は徳川政権下の武家社会であり、武士とりわけ一国一城の主を侮辱したとあれば果し合いになっても当然の時代だったのである。武士は名誉を殊更に貴ぶから、現代と違って名誉毀損は死をもって償うのは普通のことだった。これが当時の合理性である。江戸城内での抜刀という禁を犯した以上城主の切腹は致し方ないにしても、城主を侮辱して抜刀に追い込んだ吉良氏を許すわけにはいかないと討ち入りに至ったものだが、犯人が死刑ではなく切腹となったのはこの合理性の存在があったからである。歴史上の出来事の本当の姿はここまで掘り下げないと見えてこない。
ドイツにヒットラーが出現したのも合理性なしには考えられない。詳しく調べたわけではないが、第一次世界大戦に敗北したドイツは莫大な賠償金の支払いを連合国側から課せられ100年かけても払いきれそうもない状態にあった。
当然ドイツ国内には逼塞感が充満し国民の不満が渦を巻いていた。そこに現われたのがヒットラーで、彼は単純明快な語り口でドイツ人の優秀性を説き国民が一丸となって困難に立ち向かうことにより将来は開かれると励ました。国民は前途に膀胱を見たと感じた。これが当時の合理性である。無論その後の彼の行動は弁護のしようのないものである。しかし単純にヒットラーを前例を見ない悪者であると決めつけるだけでは、歴史からなにも学ぶことができない。彼の出現を支えた合理性を見れば、例え戦争に勝ったとしても払いきれない賠償金を押し付けたりしたら、やがてその矛先は自分たちに還ってくることが分るだろう。これが歴史から学ぶということである。
日・中・韓で最近歴史認識の違いが問題とされているが、この歴史においても同様にその時々の合理性があった筈であり、それを明確に認識することが問題解決の鍵になると思う。この問題の議論において現代の物差しを使ってはならない。それは何の解決にも結びつかないからである。くどいようだが合理性のない現実は存在し得ないのである。
(一本杉)