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「資源の価格」 2007年03月22日更新

ここ2-3年で資源の価格が随分と高騰した。まず値上がりしたのが原油価格でその後を追うように天然ガスや石炭などの化石燃料や金属資源、そしてさらには木材などの植物資源まで軒並みの値上がりである。一般にはこうした資源価格の高騰は消費者の生活を圧迫するようにとらえられがちだが、案外その反対でむしろ世界経済に良い影響を与えるのではないかと考える。

まず供給側から見てみると、生産した資源が従来より大幅に高く売れるとなれば彼等は当然より多くの資源を生産しようと投資を増やすだろう。そしてこれまでは経済的理由で未開発のまま放置されてきた鉱区なども開発の対象となり、また回収率を上げる技術の開発などにも注力するだろうから生産量や供給余力が増加する。これにより中国やインドなどの巨大な人口を抱える国の経済成長に伴う需要の増大があっても、急激な資源インフレに襲われる心配をすることなく世界経済の円滑な成長が望めるはずだ。つまり資源の価格はある程度高い方が望ましいということになる。

次に需要側から見てみよう。これまで安い資源に慣れてきた需要者(工場など)は当然のことながら当初資源の高騰に反発するが、その次の段階ではこれまでの消費態度を改めて消費量を減らす努力をしたりあるいは代替物を探したりするだろうしさらには彼等が作る製品の価格の引き上げを浸透させるなどして新しい時代に対応した経済活動を続けるだろう。これにより高騰した資源価格はやがて需要側に受け入れられた普通の価格となる。しかし以前と違うのは需要側が以前よりはるかに省資源型の生産体制を作っていることである。

では最終消費者はどうだろうか。彼等は資源の直接の需要家よりはるかに自由に行動する。価格が異常に高騰すれば買わないという選択をするだろうし、高騰を受け入れるとしても節約に励むだろう。昔はなにかと「もったいない」という言葉が使われていたが、資源安の時代の到来をうけていつの間にかこの言葉が使われなくなった。しかし最近ちらほらとこの言葉が再び使われるようになってきたようだ。これは資源高の影響もあるかもしれないが、環境保護の観点からもこの言葉が役立つのではないかと思われてきたからだろう。

最近金属泥棒が増えてきているが、皮肉にもこれこそ現代がリサイクルの時代に入ってきたことを意味している。江戸時代の江戸は世界最大級の都市であったが同時に最も清潔な都市でもあったという。これは江戸がリサイクルを徹底して行っていたからのようだ。つまり資源を大切に使っていたのである。資源の価格が上れば現代の最終消費者も資源を大切に使うようになるだろう。そしてすべからく再利用が徹底され無駄使いがなくなりゴミが減り環境汚染も格段に改善するだろう。そしてこのすべてが経済的合理性を保つのだ。資源高はこのように現代経済に伴う種々の問題を解決してくれるのであり、最終消費者としてもその住む社会がより快適になるという意味で歓迎すべきものと言える。

(一本杉)

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