「はびこる電車型人間」 2007年09月04日更新
9月1日の日経新聞のなかで堺屋太一氏が記者のインタビューに答えて次のように述べている。「戦後の最大の功労者といえる団塊世代が失敗したのは子弟教育だった。子供に勇気とか覚悟とか独創といった美徳を教えなかった。自分で考え選択する気力を与えなかった。一流の学校を出て会社に入るのが幸せなんだと。優しさと安易さだけが美徳と教えた」。そして同氏はさらに好きな職を選ぶのではなく有利な職を選ぶ傾向にも苦言を呈している。
本欄の表題にある電車型人間とは耳慣れない用語と思われるだろうが、実はこれは筆者の造語である。こころは線路の上しか走れない。きまった路線を正確な時間で走る電車は我々利用者にとってありがたい存在だが、これが人間の生き様を表すとなると首をかしげざるをえない。人生の出発点を始発駅とするとその終わりが終着駅となるのだが、進学や就職という人生の節目に夫々途中駅があり就職後の組織内での昇格についても夫々駅があることになる。問題は親がその子弟をまず始発駅に連れて行きそして時刻表どおりに各駅を通過するのが本人の幸せだとおもい、それを支援したり強要したりしていることだ。そこにあるのは堺屋氏の言う勇気や覚悟や独創とはまったく無縁なものである。
こうして育った人が首尾よく時刻表どおりに進んで行くと、おそらくそのうちなにもなければ各界で指導的な立場に立つことになるだろう。しかしなにかが起きたときに欠点が暴露されることになる。つまり線路の上しか走れないから線路のないところを進まなければならなくなったときに、なすすべが分らない。線路がなければ歩こうという発想がないのである。なぜならやったことのないことをするのは怖いから。これが下っ端のうちはまだ怪我はあさいが、組織の指導的立場に立っているときに遭遇すると結果は最悪である。おそらく組織は壊滅的打撃をこうむるだろう。
もちろん電車型人間を全面的に否定するつもりはない。彼等は平穏無事である限り一般に優秀であるとみられている人達である。しかし彼等には危機に対処する知恵がないから、世の中が彼等にたよりすぎるのは真に危険なのである。組織の安全を守るために必要なのは、構成人員の多様性である。様々な能力を持った人材が集っていてはじめて多様な事態に対応できるのである。したがって子弟を教育するにあたってもこのことを忘れず、電車になることを強要するような愚はさけて、子供が好きな道あるいは子供の能力に向いた道を選ぶように勧めることが必要だろう。むろん電車が好きだというのであればそれはそれで良いのだが。
(一本杉)